先日、いつものようにメトロポリスの労働者のごとく
目の前に積まれた仕事(この”積まれた仕事”は、
仕事がたくさんあるという比喩的な意味もあるし、
物理的に机の上に資料やテストショットが積まれている
という意味もある)を、無心に(仕事に”情熱”を持っているとか、
よく感心される表現であるが、それは間違っている。
仕事たるもの感情や気分に惑わされること無くこなすのがプロであろう)
消化していると、フィギュア化の企画用にと、
新しいアニメ作品のキャラ資料が回覧されて
私のところにやってきた。

手を休め、その資料に目を通すと、
いない・・・。いないのである。
”えっ!? なんで?! メガネッ娘がいないやん!”と
言うと、全員が怪訝そうな顔で私に視線を集中させた。
私は、その状況をとっさに理解出来なかった。
”なぜ? 今、私は何か自分の品位を落としめるようなことを
言っただろうか?” 
否! それは無い。私が不注意にもそのような愚かな行為をする
ことはありえない。
なぜなら、私は常日頃、中身以上に高い評価をされるよう
その立ち振る舞い、自分の行いについては
細心の注意を払って行動しているからである。
そして、ひとつの解答にたどり着いた。
”おかしいのは、私以外の開発部のスタッフである!”と。
”メガネっ娘の良さを理解しえない彼らがおかしいのである”

ならば、この場を使って私が”メガネっ娘の魅力”について
ご教授差し上げる次第である。

もちろん、”メガネっ娘”の最大の魅力は、
メガネをとった顔、そしてメガネをかけている顔、
1人の人間の中に存在するその2つ顔にあるのだが、
”普段、メガネをかけている地味な娘が、メガネを
とったら、すごくかわいくって〜”っていう設定は、
正直、萌えないし、そんな手垢の付いた展開は
どうでもいいのである。

むしろ、重要なのはその逆の展開だ。
普段はコンタクトを使用している娘が、
こちらが身構える隙すら与えることなく
不意にかけたメガネに、
冷静と情熱の間にあるものは消失し、
体内にある液状のものは全て沸点に達し、
心臓は、ネズミのごときスピードでビートを刻み始め、
最終的に”きゅん”ってなるのである。

では、なぜ「メガネ」にこれほどまでに心乱されるのか。
一説には、メガネのフレームが、アニメキャラの目の
アウトラインをイメージさせ、現実に存在する女のコの
表情をアニメっぽい顔にさせるということもあるようだが、
私は、「メガネ」そのものに”萌える”わけではないと考える。
もし、上記理論が正しいとするならば、みな、黒のマッキーで
顔にメガネのフレームを描けば良いではないか。
それだけで”かわいさ”が通常の3倍はアップするであろう。
そういった化粧が流行しないことが、
上記理論が只の通説に過ぎないことを証明している。

要は、普段、どうしても避けることの出来ない
他人と共有しなければいけないパブリックな時間や状況においては、
コンタクトをはめることで、そのウイークポイントを隠している女のコが、
自分という存在を無条件に守ってくれる家族、
100%安心して身をゆだねられる心を許した相手(基本的に
そういった存在がいることは許されるべきことではないのであるが、
私の心は、未だ泳ぎきったことのない”小学校の25メートルプール”の
ごとき広さなので、同性の極少ない友人だけは認めようではないか)にだけ、
そして、自分ひとりで過ごすプライベートな時間にしか見せない真の姿、
それを他の誰でもない、自分にだけは見せてくれた、
そのシチュエーションに”萌え”るのである。

同じ様にその女のコに好意を抱きながらも指を咥えて見ているだけの
他の凡人どもは決して見ることが出来ないそのメガネ姿を、
自分だけが知っている。
それは、”彼女との距離感が縮まった”ことの証明である。

そこには、”私だけが知っている彼女のもうひとつの顔”といった
2人だけが秘密を共有する”共犯者的”とでもいうような喜びがあり、
恥ずかしさを抑えてまで、真実の姿を見せてくれたことに対する
征服感に近い喜びもあるに違いない。

このシチュエーションが最もわかりやすい判例がある。
ガイナックスさん製作の「フリクリ」のニナモリが
ナオ太の家に泊まるシーンがそれだ。

教室で会っているニナモリとは全く違うその姿に
”ドキッ”とするのが印象的だ。
ナオ太は、そこで気が付いていないかもしれないが、
ニナモリと自分の間の関係性が変化していることに
無意識的に感じ取っているのだ。


と、いうふうに、結論として
メガネそのものに”萌え”るのではなく、
メガネをかけているその女のコとの関係性に”萌え”る
ということがわかっていただけたであろうか。

最後に、
メガネのフレームについてであるが、
メガネだったら、どんな形でも構わないというものではない。
もちろん、メガネは彼女にとって、着飾るものでは
ないので、そのコンプレックスの象徴として
”ちょっとアラレちゃんっぽい時代遅れのタイプ”や
(80年代のアイドルたちが時折グラビアなどで、
オフシーンの演出としてかけていたクロブチの伊達メガネ)
”中学生くらいから使っているような赤いフレームのもの”
だと、より一層”萌え”ることをお伝えしたい。


以上

次回は「ツンデレブログ」について。






*本記事は、全てフィクションです。

開発部 ”T " でした。